source-lab. scrap

collected by source-lab.

Sep 24
Permalink

サイトウマコト
http://www.dnp.co.jp/gallery/artist/saito/saito.html

あまりにも有名過ぎるアートディレクター。
恐らく、今現役世代で活躍する多くのデザイナーの中にも彼に影響を受けてこの業界に入った方々も多いことだろうと思う。
斯く言う自分もそうだ。

スタイリッシュでありながら剛健。
シンプルでありながらどこまでも濃密なビジュアル。
そして何よりも独立精神溢れるオリジナリティ&独創性。
学生時代、広告の世界にハマって以来、彼打ち出す強固で圧倒的存在感を放つビジュアルに何度K.O.されたかわからない。
大胆にカッティングされた写真によるコラージュと、自由自在に縦横無尽に空間を踊り回るタイポグラフィ。
それがまだ今のようにMacなどが無い、ビジュアルもアナログな手法にしか頼らざるを得ない時期に作られた創作物達だ。
当時、自分はビジュアルデザインと平行して油絵もまだ描いていた時期だったが、そんな時期に彼が次々打ち出すビジュアル世界はどれもこれもが神掛かっていた。

また自分が彼にハマったのは、何もビジュアル力においてだけではない。
デザイナー、サイトウマコトなるその人間性(勿論、メディアや媒体にOUT PUTされた限りでしか知る由はなかったのだが)

「今のデザイナーは去勢されている」

と言った物騒な発言にも代表されるように、歯に衣着せぬ物言いで目の前のものを自分の感覚のみでバッサリ斬っては突き進むその傍若無人な野武士スタイル。

いつだったかの横尾忠則との対談では、既に当時、巨匠と呼ばれる域に達していた人物を向こうに回しながら、相手にひるむどころか真正面からバッサバッサと横尾の意見を斬り捨てる。
当時から、あまりにも偏った横尾のビジュアルワールド、その世界観などどうも好きになれなかった自分にとっては、横尾相手に発言される彼(サイトウ氏)のその言葉の一つ一つにどこまでも胸を空く思いをさせられたものだった。
男が男に惚れるケースがあるが(昔日記でも書いたが)彼も無頼派の九州男児。
そんな大人げなさ(?)含めどこまでも「俺は俺」なスタイルにも憧れたのだ。

人によっては間違いなく好き嫌いが別れる典型的な人物でありデザイナーだが、その立ち位置や媒体通しての自分の売り出し方、OUTPUT含めその全てに自分の憧れのデザイナー像を見出したのが、誰あろうサイトウマコトその人だった。


そんな憧れの人、サイトウマコトが主立った活動をしてなかったここ10年程の沈黙を破り、金沢21世紀美術館でアーティストとして作品を発表すると言うのだから、どんな理由あろうとも見ないわけにはいかない。

しかもこの展覧会の情報を知ったのは、連共々プライベートでもお世話になっている呑み仲間の青木さんことAOCOさん。
レセプションの招待状は彼女からのプレゼント。

過去にニューデザインパラダイスにも出演
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=202733901&owner_id=128330
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/newdesign/design/060819.html

かつてサイトウマコト・デザイン室で活動されていた経歴の持ち主でもある。

AOCOさん曰く

「サイトウマコトって誰かも分からず事務所に応募した」

と言う..
なるほど、だからこそサイトウマコトと数年の間、供に仕事をこなして来れたのか..
など、自分とは全く異なるスタンスで彼に身近で接していた彼女の佇まいに刺激を受けることも少なくない。


————


と、まぁそんな自分とサイトウマコトとのエピソードはこの辺で終えるとして、ついに個人的メーンイベントの「サイトウ・マコト展:SCENE [0]」。
10年ほどご無沙汰の氏の作品に不安と期待で入り交じる中、展示フロアに入った。

「……………………………………………………………………………………………………. 。」

唖然。
呆然。
愕然。
失意。

思わず「我、心ここにあらず」状態となってしまった。


ここは1995年か!!??

雨後の竹の子のごとく、百花争艶のCGアーティスト達が世に登場した10年以上も前のことを思い出した。
そして目眩がした。

初公開の絵画作品を約50点展示とあるが、何のことは無い。
Photoshopをさわれる人間であればものの5分もあれば加工出来てしまう(スケッチ>クロム>オーバーレイ等で被せるで大体事足りる)
しかも全て同一の表現に頼り切ったCGが50点。
ぶっちゃけるとキャンバスにCG出力した作品が50点のみ。
後から手書きで整えているとは聞いたが、いずれにせよどうでもいい話だ。
まだこの「Photoshopでエフェクトが掛かった感」を敢えてアクリル等の手描きで画面全体に丹念に描き込まれていれば、デジタル作品への新たな視点として全く違った意味合いを持つ作品として見れただろう。
何故ならばそれなりに時間を掛けた痕跡が見られる作品と言うのは、ロン・ミュエックの作品然り、作品が自ずと雄弁に語り始めるからである。

それを、単にプリント出力したまさかそんな代物を金沢21世紀美術館で展示しようとは..
デザインフェスタ等で質の悪いCG作品を見ているかの様だ。
サイトウマコトの過去の作品には一切触れずと言う、ある意味彼らしい潔い展覧会ではあるが、どうしようもない吐き気に襲われた。

いや..実は美術館に入る前からポスターなどちらちら見かける時点で、既に妙な(嫌な方)胸騒ぎはしていたのだが、それが現実のものとなってしまった。

展覧会の概要はこちらで紹介しているが、
http://www.kanazawa21.jp/exhibit/saitou/exhibit_alt.html

今回サイトウは、幼少のころから親しみ、自身にとって特別な意味をもつ映画から一瞬のショットを切り取り、デジタルという現代のフィルターを通して大胆に解体するなど、これまで一貫して培ってきた現代への鋭い視点を反映した絵画作品を発表します。本展は、このように「見る」行為を「描く」という行為へと拡げた、サイトウの現在を展観するものです。

とあるが、デジタルという現代のフィルターを通してこれを「デジタル」な表現と言ってしまう所に彼の頑さと古さが垣間見える。
Photoshopのエフェクトの新奇なビジュアル表現に刺激を受け、のめりこむのは10年以上も前から若いデジタルのクリエイターが必ず通る道だ。
そしてそうしたエフェクトで仕上がった画面をさぞ自分の創作物として提示することの「痛さ」を世のデザイナーのほとんどは知っている。
様々なエフェクトを使用する中でデザインの現場でそのエフェクトを適材適所で使うのがPhotoshopと言うアプリケーションの利用意義だ。

彼がその辺を全て理解した上で「敢えて」こうしたエフェクトを使いまくり、意図的に何かを伝えんと作品を展示したのであればこちらの邪推と謝罪するが、上の文章を読む限り、こういう物言いは失礼に当たるのかも知れないが、単に時代錯誤なデジタル解釈で作品を作ったオッサンの自慰行為としかもはや映らない。

誤解の無いように書くがCGとして出力した作品を否定しているのではない。
然るべき方向性と目的がきちんと見える作品がCG作品として出力されたものであれば、それはサイトウ・マコトらしくあろうが無かろうが問題ない。
問題なのはデジタルで表現したことを自らが宣っておきながら、全てが「デジタルで表現した」と豪語出来る代物で無いことが個人的に痛いのだ。
彼の沈黙したここ10年を彼のただの冬の時代と思わないようにしていたが、この展覧会を目の当たりにする限り、完全に「デジタル」からは取り残され、だからこそ波に抗いチャレンジした結果、大クラッシュ…そんな印象だ。

確かに構築されているビジュアルエッセンスは今も昔もサイトウマコトのそれだ。
自分が熱狂した90年代あの当時のセンスが今も変わらずに画として定着している。
その部分に個人的ノスタルジーを感じ、懐かし嬉しく思った一面もあったが、自分にはもはや彼の「オレオレ」が最悪な方向で爆発したものとしか映らない。

自分がMacを使い始めた学生時代、同じくサイトウマコトに影響を受けた友人とこんな話をしたことがある。

彼「これからは誰もが気軽にCGを作れる時代になるんやで…」
俺「ストラタ(当時使用していた3Dアプリ)使えば、すぐにそれらしくなるしな」
彼「描かれたものがイケてなくても、CGってだけで皆がカッコいいと反応する」
俺「誰もがすぐに「それらしい」画面を作れる時代が来るよな」
彼「だからCG生み出す僕ら自身が本当に「イケてる」のか「イケてないのか」をシビアに見極めて作り出す必要があるな」
俺「やっぱ..どんなにMacで「それらしい」画面を生み出しても、最終的にはソイツの「イケてる」「イケてない」の嗅覚や本能が大事になって来るよな」

そんな彼が書いたコラムを以下でも紹介しているが、
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=681063887&owner_id=128330
10年前に書いた彼の方がよほど「デジタル」で絵を創ることの本質を突いている。

また、そんな「嗅覚」や「本能」のままに大胆な画作りをしつつ、世界的レベルでデザイナーとしての仕事を両立している彼だったからこそ、自分の夢であり憧れだった人なのだが


「僕の身体が昔より 大人になったからなのか」


脳裏に徳永英明の曲がよぎった。

10点ほど見て以降はずっと続く脱力状態で残りの作品を惰性で見流した。
勿論あまり記憶に残ってない。

彼はかつてこの件でも一悶着を起こしているが、

KDDI「PENCK」のフォント騒動
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0503/29/news044.html
http://www.9031.com/extra/20050327.html

基本的に彼自身がどこかデジタルで表現することへの配慮に欠けた所は否めない。

アナログの時代で天下を取った彼が、デジタルの時代でも自身の健在ぶりをアピールしたかったのだろうが、この展覧会で感じた今の彼の印象は「裸の王様」
あそこまでデカくなったデザイナーには誰もブレーキを掛けれなかったのだろう。

また世界有数美術館のパーマネントコレクションとして所蔵される彼の作品群だが、彼のそうしたネームバリューはまだ健在だと言うことだろう。
ある筋から今回の展覧会は展示販売会を見据えた位置付けにもあると聞いた。
既に膨大な額での契約がぽこぽことあるらしいが全く興醒めだ。

確かに自分が追いかけていたサイトウマコトに偽りは無いが、この時代の変革の中で目的地とハンドルとアクセルのバランスを失ったことを、自身が自覚せずに突っ走る様を見せられるのは痛々し過ぎる。

「サイトウ・マコト展:SCENE [0]」

奇しくも銘打たれた「SCENE [0]」は、自分にとってもあまりに考えさせられるタイトルまたExhbitionとなった。


——-


サイトウ・マコト展のレセプションへ向かった。
会場近くレアンドロ・エルリッヒのプールの作品近くに見覚えのある男性の姿。
日に焼けた長身スーツのサングラスのその男性はこんな所に?な石橋貴明。
後には嫁さんの鈴木保奈美と娘さん方の姿。
その他、会場では大友克洋、佐藤卓氏など大御所業界人の姿がチラホラ。
そんな中に混じって会場で所狭しと動き回っていたサイトウマコト氏。
勿論、生で見かけるのは初めて。
やや歳を取った感じだったが相変わらず元気のいいオッサンと言う感じだ。
作品見ずに最初にこちら駆け付けていれば間違いなく我先に握手を求めたろうが、この時はもう遠巻きにその様子を見るだけで十分だった。
とは言っても彼のことを否定したいからではない。
自分にとってサイトウ・マコトはいつまで経ってもサイトウ・マコト。
単に今回の展覧会に限っては彼にあまりに失望させられた
それだけの話である。

宴もたけなわな中、大友氏がさっさと場を後にしたのがやけに印象的だった。

レセプション後、再び人気の少なくなった美術館閉館ギリギリまで
連れとロン・ミュエックの作品達とゆっくり相対峙した。
見れば見る程に寒気がした。

技巧に饒舌で、言葉に寡黙だったロン・ミュエック
言葉に饒舌で、表現に寡黙だったサイトウ・マコト


自分の中ではあまりに対照的な二つの展覧会だった。