忘れられない最後のタマソニになりました。
でも、
覚えてないです。
「生きている脳」
病で死にかけているお金持ちの患者が、生き続けることを希望しました。
医師は脳だけを取り出して培養液につけて保存しておく方法を提案しました。
「そのうちに脳の意志で操作できるマジックハンドも開発されるし、
人工の発声器官もできる。視神経にレンズのついた電子光学的装置を取り付けることもできる。
理論的には何百年も生きられる」という医師の甘い言葉に誘われて、同意した彼。
(以下、本文より抜粋)
麻酔が切れた後、激痛が襲った。
すべての末梢神経を切断されたその痛みは、およそ今まで彼が経験したこともない激しい痛みだった。
・・・(中略)・・・悲鳴をあげようにも発声器官はなかった。
この世のものとも思えぬその苦しみを他人に伝える手段はひとつもなかった。
彼はただ、痛みを感じ続ける存在でしかなかった。
外見上、彼は培養液の中でのんびりと、安楽そうに、ひっそり静かに浸り続けている一つの脳である。
だがその脳が今、どのような苦しみを味わっているか、見る者にさえわからないのだ。
死んだほうがマシだ、と彼は思った。誰か私を殺してくれ、この培養槽をぶち壊してくれ。
・・・だがその願いは誰にも届かない。今の彼には自殺の自由さえない。
絶叫もできず、泣くこともできないまま、彼は苦しみ続ける。
いつまで続くのか。いつになったら終わるのか。
気の狂いそうな激痛の中で、彼はぼんやりと、医者の言葉を繰り返し、繰り返し思い出していた。
「理論的には何百年も」
情報発信主義宣言
情報は、恥ずかしがらず公開することが大事なのである。誰になんと言われようと公開することが第一歩なんだ。不完全な情報でもいいのです。その瞬間、生み出された言葉は真実なのだから。そして、どんな内容であっても公開された情報をネガティブにバッシングしてはいけません。
公開された情報にポジティブなフィードバックをすることが、きっと誰かを勇気付け次の新しい価値を生み出すんだっていうことを信じなくてはならない。それはなにか、いいことを言わなきゃいけないんだなんて思わなくっていい。ブログでもいい、twitterでもいい。インターネット上に発信すること。伝える事をためらってはいけない。
ひいてはそれが、仮想空間で完結する事なく、生活空間にも結びつけていくことを忘れてはならない。とかくデジタルが否定されがちな風潮をいちいち気にする事はもうやめよう。インターネットがわからないというのは、もはや単なる思考停止でしかないのだから。
発信された情に「報いる」ということが、情報っていう日本語の語源なのだから。情報発信するということが新たな未来を作り出す源泉であると、僕は信じてやまない。
我が国の情報を司る最高学府の一つである、未来を創る大学にて。